震災の記憶が薄れる中で見つめ直す、甚大な被害と思い
東日本大震災から14年が経過。現在J1アビスパ福岡に所属するGK小畑裕馬選手(23)。彼は小学3年生の時、仙台市で震災を経験し、その時の体験が今も心に深く刻まれています。この記事では、彼の体験と思いを通じて、被災地での経験を振り返りながら、震災の記憶が風化していく中での大切さについて考えます。
震災の直撃、その瞬間と余震の恐怖
2011年3月11日午後2時46分。JR仙台駅近くの榴岡小学校で、小畑選手は下校直前に強い揺れを感じました。「すぐ校庭に避難し、不安になった。校舎にはひび割れ、地面には亀裂が走り、命の危機を感じた」と当時を振り返ります。自宅は倒壊を免れ、家族も無事でしたが、電気や水道、ガスは止まり、数日は車中泊を余儀なくされました。
甚大な被害に対する現実の直視
震災後、小畑選手は同級生の親とともに、津波で甚大な被害を受けた宮城県名取市閖上地区を訪れました。現地では炊き出しや簡易風呂の設置を手伝い、「あまりの惨状を目の当たりにして、自然の恐ろしさを痛感した」と言います。この経験は、現在でも強く彼の心に残っています。
避難所での経験と向き合う日々
避難所では自身のサッカーボールを同年代の子どもたちに渡した小畑選手。「困難な状況では互いに助け合うことの大切さを学び、命の儚さを感じた」と語り、その後も震災で親を亡くした同級生と共に過ごし、今を生きる重要性を強く認識しました。
福岡での新たな生活と震災への備え
小畑選手が福岡に移籍してからも、防災意識を持ち続けています。福岡市内には大きな地震は少ないとの印象があるものの、彼は「常に最悪のシナリオを考え、備えを怠らないことが重要」と述べ、自宅には非常用の飲料水やモバイル充電器を常備しています。
震災から学ぶ継続的な備えの重要性
福岡での練習場は海のそばに位置しています。「『ここは大丈夫』と思いこむことが、被害につながる危険性がある」と、津波への備えも呼びかけます。震災を経験し続けた小畑選手は、その経験を基に今後も防災意識を持ち続け、他の人びとにも伝え続けていきます。
小畑選手のように日々の備えをしっかり持ちながら、震災という甚大な被害の記憶を風化させないことが、次の災害への備えに繋がります。