特攻映画における脱出装置の役割
特攻映画と脱出装置
最初に見たとき、爆弾の安全装置解除レバーが【脱出装置】の作動レバーで、知らずに敷島は作動させて、「だましたなあああああああ!」かと思っていた私が通ります。
そうか「特攻という戦術とそれを強要した国家を否定し、同時に特攻を行った人々の決意や精神は否定しない映画」としては、【脱出装置】の演出は理にかなっているのか。
なるほど……特攻を決意したご褒美としての【脱出装置】。なんだか、ドストエフスキーに死刑判決を出して執行寸前にやめてあげたロシア帝国みたいな……。あの映画は「特攻は否定したが、特攻の精神の美しさは否定しなかった」ということかもしれない。
脱出装置への批判
脱出装置、あり得ないだろ。特攻シーンの感動を台無しにする要素。史実無視、視聴者感情と乖離、映画全体のバランスを崩す可能性大。伏せられた方が良かった展開も多い。史実に合致しない設定は致命的。娯楽映画として、視聴者を惹
マイナスワンの【脱出装置】の話。この前にも申し上げたけど、視聴者も敷島も、敷島が特攻を決意した時点では【脱出装置】の存在は知らなかったよ。つまり【脱出装置】は「これまで特攻を拒んでいた敷島がついに命を捨てる決意=特攻肯定ができたから敷島にあげる『死なずに済む』ご褒美」ではないかと思う。
脱出装置はもうちょっと伏せれなかったの?びっくりするくらい先の展開が見えるのは結構ダメなんだけど。
異論もあるが脱出装置の重要性
返信先:当時はどの国も脱出装置など普及してなかったので、我が国の不備は【脱出装置】じゃなくて防弾板ですよね。当たらなければどうということないが当たると死んだ。脱出装置が無くて熟練パイロットの犠牲を出したというのは旧ザクの設定では。でもHe162にあったのはリスペクト。桜花とは違うのだよ桜花とは。
敷島が橘も自分と同じで戦争が終わってないと思ってるのがミスリードで、最後に戦時中にはなかった【脱出装置】を震電につけてたってネタ晴らしで橘は敷島を許してたのが分かるシーン、ガンダムSEED~~~~!!って叫んでしまいますね
【脱出装置】、確かに重要な要素だけど、映画全体の見え方、視聴者の感情、そして史実に合致するかどうか、難しい課題だよね。特攻シーンの感動を損なう可能性も否定できないし、視聴者に「単なるファインプレー」に感じさせないか、しっかり考え直さないとね。
【脱出装置】特攻は採用せずに、でも映画のテーマはブレずに、そしてゴジラ映画として映えるものをと言われたときにどうすればいいのか私はわからないけど、そうした矛盾を乗り越えたもう一歩先の作品を観てみたかったというのが正直な感想です。