マリナーズと野球殿堂入り:岩瀬仁紀とイチローの輝かしい業績
今年の野球殿堂入りの発表で、愛知大学野球部出身で中日ドラゴンズの元投手、岩瀬仁紀さん(50)が選ばれました。彼はオリックスとマリナーズで活躍したイチローさん(51)とともにその栄誉に輝きました。大学時代のチームメートである八田剛さん(53)や、社会人時代に投手コーチを務めた森昌彦さん(59)がその快挙を祝いました。
大学からプロ入団までの道のり
岩瀬さんは、西尾東高校から愛知大学、そしてNTT東海を経て、1998年のドラフト2位で中日に入団しました。中継ぎや抑え投手として活躍し、最優秀中継ぎ賞を3回、最多セーブ賞を5回獲得しました。通算では1000回の登板を果たし、通算407セーブは日本歴代1位の記録です。彼は「非常に嬉しいと同時に、良いのかなと思いました。本当に多くの人に支えられてここまで来たと感じます」と述べています。
投手としての転機
愛知大学時代まで、岩瀬さんはベストナインに4度選ばれた外野手でした。しかし、チーム事情で3年秋から投手を兼務することになり、当初は腕試し感覚だったと言います。4年秋の最後の試合で打撃成績が振るわず、投手としての道を選んだのは運命だったと語っています。
NTT東海での挑戦と成長
NTT東海に進んだのは、唯一投手として誘われたからでした。岩瀬さんは当時のコーチである森投手コーチらから厳しい練習と投手の基礎を叩き込まれたと振り返ります。特に1年目に「野手出身」として球速を備えていた岩瀬さんは、プロ野球への道を楽しんでいたと言います。
その後、故障に悩まされた時期もありましたが、走り込みや筋力トレーニングを続けることで再び自信を取り戻しました。この時期に岩瀬さんの代名詞ともなる「高速スライダー」を習得しました。この技術は森さんが投げていたカットボールの改良版であり、『ほとんど打たれた記憶がないね』と森コーチは誇らしげに話します。
プロ野球での偉業と挑戦
プロ野球でのキャリアにおいて、中日ドラゴンズでリリーフ投手として彼は数々の記録を達成しました。開幕から活躍し、ブルペンでの安定感を示しました。大学時代は我流の投球フォームで短期的な結果に満足していた八田さんは、岩瀬さんが大投手に成長したことを誇ります。「愛知大の誇りです」と表現する彼は岩瀬さんの成功を祝福しています。
電話でお互いを励まし合ったという森さんも、「メンタル面でも鍛えられた。抑え投手としてのポジションの重圧はすごかっただろう。またご飯に行こう」と、感謝の言葉を贈ります。
まとめ
岩瀬仁紀さんとマリナーズでのイチローさんの功績は、単なる野球の結果以上のものを私たちに教えてくれます。彼らの挑戦と成績は、どんな環境でも努力することの大切さを示しています。日本だけでなく、世界中の野球ファンにとっての大きな誇りです。